命がけの大一番





隠相撲。

男子禁制の女性だけの相撲。

大相撲の開幕に合わせて、開催されるこの相撲大会は、

相撲を取りたいという純粋な気持ちを持つ女性が集まる場所。



渡邉しずかはそんな隠相撲の世界に中学生で飛び込んだ。

そして、隠相撲が開催されている今日も、更なる高みを目指して土俵に上がる。



しずかが一番嫌な相手は双子の妹のしずねだった。

真面目な性格のしずかとは対象的に少しやさぐれたところがある。

体格はほぼ同じ。さらに成績や隠相撲の番付も同じ程だ。

いつも喧嘩の絶えない二人の間柄だからこそ、

互いにコミュニケーションの取り方がたまたまこうなっただけの話。



そんなしずかとしずねが共に尊敬して止まないのが、現在隠相撲の横綱、隆美である。

自他共に認める隠相撲最強の横綱。

心技体を完璧に供え、離れて良し、組んで良し。

腰も強く決して後ろに下がらない信念を持っていつも相撲に臨んでいる。

そんな姿に、しずかやしずねだけでなく、全員の隠相撲力士が影響を受けていると言っても過言ではない。



そして、その最強の横綱が、今日のしずかの相手だった。



両者が塵を切り土俵の上で向かい合う。

横綱の隆美はいつになく緊張した面持ちで土俵に上がっていた。

先場所の対戦では水入りにまで持ち込まれた相手。

隆美にとって今一番目をかけているのが、しずかとしずねの姉妹だった。

逆に言えば、一番驚異を感じさせる後輩。

己自身、十五、六が一番伸びた時期だった。

今のしずかとしずねの成長速度は、あの頃の自分の比ではない。

まして二人は新世代の旗手をしているような者。

もう、決して油断は出来ないライバルの一人だ。



力水をつけ塩をまき最初の仕切り。

この時点から既に勝負は始まっている。

相手との距離、出方、呼吸。全てが既に探り合いだった。

最初の仕切りは互いに何も仕掛けず。

向き合っているしずか以外には終了したかに見えたことだろう。

たった数秒の間に、しずかは隆美の激しい仕掛けに遭っていたのだ。

しずかは相手に狙われた場所が電流が走るような感覚になり、相手の攻めを感じることが出来る。

それを知ってか知らずか、隆美の狙いはしずかの全身に振られていた。

何故狙いが全身に振られているのか……。

それでは、隆美自身も集中が上手く出来ないはず。

しずかは二度目の仕切り前に力水をつけ冷静に考えをめぐらせる。

まず、しずかが不思議な感覚で攻撃を察知出来ることを知っているとしたら。

そして隆美も不思議な感覚を使っているならば……。

即ち、しずかの全身にビリビリの感覚が隆美自身にあると言うことは、

隆美はしずかのあらゆる動きに対処する構えがあると言うことだ。

そう考えればつじつまが合う。

しずかは気合いを入れ直し、二度目の仕切りに向かった。

はっきり言って今の推理は当たっている日は定かではない。

それでも、そう結論付けてしまえば立ち合いで迷いは生じなくなる。

しずかには、この方が重要だった。



二度目の仕切り。

しずかからは迷いが消えて隙も無くなっている。

ここは隆美が直ぐに間を外した。

しずかの推理通り隆美にも先読みの感覚はあった。

自分が使い始めの頃、同じようにその感覚には戸惑い、慣れるまでには相応の時間を要した。

どうやらしずかはしっかりとモノにしているらしい。

それでこそ……。

しずかとの勝負のポイントは、相手の攻めの先読みの攻防になる。

こちらの威嚇が通じない以上、最後の仕切り、そして立ち合いも、難しい選択をしなければならない。





肝心の立ち合い。

仕切り線を挟んで睨み合うしずかと隆美。

既にしずかの隆美の頬には汗の滴が流れている。

相手の初手を察知できるということは、立ち合い前から既に相撲は始まっているということ。

行司の軍配が返った。

時間いっぱい、手を付いて待った無し。

しずかは焦ることなく、ゆっくりと仕切り線に右拳を落とした。

やや遅れて隆美も右拳を落す。

呼吸は万全、互いに黙して睨み合う。

一瞬の間を置き、両者の左拳が仕切り線を叩いた。

互いに変化無し、真っ向からぶちかまし合う。

組むかと思われた両者たが互いに選んだ手は突き放し。

しずかと隆美は互いに胸に衝撃を感じながら互いに張り手を繰り出した。

互いの左頬に炸裂し僅かに態勢が崩れる。

僅かに怯んでしまうしずかに対して、隆美の持ち直しが早い。

裂帛の気合いと共に左の強烈な突っ張りを繰り出す。

しずかはこれを察知して、一瞬で態勢を立て直し、右のおっつけで隆美の突っ張りを殺した。

組みに出ようと踏み込んだしずかだったが、全身に電流が流れた様な感覚が走り、慌てて隆美を突き放す。

両者の間合いが開き、大方の予想を裏切り、二人は激しい突っ張り合いに突入する。

しずかは隆美が組みに来ることを誘っていた。

この状況で誘いに乗る事は、即ち隆美に呑まれたことを意味する。

例え不慣れな突っ張り合いになろうとも、隆美に呑まれるよりは遥かにマシだった。

互いの突っ張りがありとあらゆる場所を叩いている。

顔面、胸、肩、喉。全ての箇所に叩き込まれた突っ張りのせいで、次第に二人の肢体が赤く腫れ始めた。

それでも、互いに引かない。

踏み込みきった、体重の乗った押しでは無いため、勝負が長引いてしまっている。

しずか、隆美、共に徐々に疲弊の色が見え始めた。

ボクシングでいうなら、互いにラッシュの状態を続けているようなもの。

スタミナの消耗はあまりに激しい。

ここで根負けしたのは、やはりしずかだった。

多少強引なのは承知の上で、隆美に組み付きにいく。

このしずかの動きを先読みしていた隆美は、しずかの動きに合わせて腰を落とし、がっちりと組み止めた。

組んだ態勢は左四つ。

互いに得意の組み手だ。

組み止められた形のしずかは腰を落とし、態勢を整える。

今の張り手合戦で酸欠になってしまったのか、呼吸が異様に激しい。

表情が苦しそうに歪み、大量の汗が流れている。

それは、隆美も同じだった。

五分の組み手で相手に腰を落とされ、さらに張り手の影響で呼吸は大きく乱れている。

まして相手は先読みができるしずかだ。

安易に攻めると逆に自分が攻め込まれてしまう。

しずかの疲労が回復しないうちに攻め込みたくても、

隆美自身の身体が言うことをきいてくれない。

土俵中央、やや東寄り、がっぷり左四つの態勢で動きが止まった。

行司が囃し二人に動きを促す。

隆美もしずかも動かない。

先程までの猛然とした動の攻防から一転して、互いに探り合う静かな闘いへと移っていた。

あれだけ乱れていた呼吸はいつの間にか掻き消え、全く動かない。

ユラユラと揺れるサガリだけが、二人が攻め合っていることを証明した。

左四つの態勢でなかなか動きを見せない両者。

たまに捻るような崩しはあるものの、大きく腰を落とした態勢では対した攻め手にはならない。

あれだけ激しかったしずかと隆美の呼吸は、いつの間にか音の一つすらしなくなっていた。



土俵上、がっぷり左四ツに組んだまま身動きが取れないしずかと隆美。

両者が流す汗は疲労によるものと緊張によるものの二種類が流れていた。

この状態から隆美は必殺の右上手投げがある。

しずかには奥の手である呼び戻しがある為、隆美も強引な攻めには出れない。

逆にしずか得意の右上手投げでは隆美を崩し切れないため、安易に攻め込み隙を見せる訳にはいかない。

先に動けば負ける。

しずかと隆美は、正に一足一刀の間合いの中にいた。

先程から動けないしずかだったが、状況は想像以上に混迷としていた。

焦りや緊張、警戒に不安、色々なものが同時に膨れ上がってくる。

その感情を必死に封じつつ、隆美の動きを全神経を集中させて警戒。

さらに隆美に隙を見せまいと荒ぐ呼吸も押し隠す。

少しでも隙を見せれば一瞬で終わり。

僅かな隙でもあれば狙える技もあるが、隆美の腰の重さはまるで大岩のようで微動だにしない。

さらに前回の相撲のように互いに息を荒げながらの探り合いがなく、緊張感だけが飽和状態になっていく。

行司の囃す声が遠く感じる。

何分経ったかも分からなくなっている感覚。

隆美が隠相撲に上がるようになって以来、この感覚に陥るのは三度目だった。

一度目は隆美が前頭だったときの、初めての横綱戦。

二度目はエリカとの優勝決定戦。

そして今、しずかがこの領域に足を踏み入れた。

楽しむ訳にはいかないのは重々承知している。

それは油断や隙と直結してしまうからだ。

しかし隆美は楽しむ自分を抑え切れなかった。

隆美と同じ、先読みの力を身につけたしずか。

ならば今の隆美と同じ感覚を味わっているはずだ。

そして行き着く先も、隆美は分かっている。

隆美は辛く、苦しいこの勝負を、心底楽しんでいた。



土俵上はまるで時が止まったかのようだった。

組み合い動きが止まった状態は、精神の消耗戦だ。

だが、既にしずかと隆美は本当に微動だにしないまま既に10分以上組み合っている。

本来であれば水入りにするべき所だが、この場を裁く行司、角之助は止めることが出来なかった。

隠れ相撲ですでに20年近く行司をしてきた。

この状況を見るのは初めてではない。

隠相撲の歴代の横綱達が、必ず一度は演じる死闘。

緊張の飽和状態。

この状態がある種非常に危険な事は角之助自身が一番良く分かっていた。

呼吸の音、動作一つしないこの状態は、両者共に無呼吸で組み合っているような状態に近い。

息を吸ったり吐いたりするだけでも致命的な隙になってしまうからだ。

本来なら水入りにするべきだ。

だが、それも出来ない。

極限まで精神を研ぎ澄ました状態の二人を一度放せば、おそらく二人とも立ってはいられないだろう。

だからといって一度勝負を預かりにしたところで次もこの状態になるかと言ったらそれは違う。

安易に預かりに出来ない世界の相撲に、文字通り水を差す訳には行かないのだ。

既に二人の相撲は、勝負を裁く存在である行司ですら手が出せない領域にたっしてしまったのだ。



行司すら止められなくなった土俵上。

しずかはとうとう目が霞み始めていた。

動きと言えば立ち合いの張り手合戦程度だった。

組み合ってからは、本当に崩しの一つもしていない。

がっぷり左四つの状態での完全な降着。

どのくらい時間が経ったのかも、分からない。

だが苦しくなってくるのと同時に、感覚だけが異様に研ぎ澄まされていくのを感じる。

攻められそうになった時、電流の様なものが流れる感覚は身に付いている。

だが、今の感覚はそれとは別のようだった。

組んでいる自分の動き、そして隆美の動き、そして今の土俵の位置。

土俵の上にあるもの、その全てを感じ取れるのだ。

見た目はただ組んでいるだけのハズだ。

しかし、しずかがわずかに右手に力をいれる。

隆美が警戒するようにわずかに腰を落とした。

今度は左を少しだけ強く握る。

隆美の足の筋肉がわずかに緊張する。

隆美が右上手を強く握ってきた。

しずかは腰を落として警戒をする。

隆美の足が数センチ前に動いた。

しずかは左足を数センチ下げて隆美の攻め手を止める。

息を潜めたまま、ほとんど動かない攻防。

だが、電流を感じる間もなく、僅かな力、僅かな動きだけでその先までの動きが頭の中で映像として、

走馬燈の様に駆けるのだ。

左下手をかすかに押っつける。

強引に前に出て寄りに持っていき、腰を落としたまま崩しを連発。

隆美が反撃に出れないようにしながら土俵際に持っていける。

この動きは、隆美が脇を締めて封じた。

強引に前に出るしずかを隆美が封じ込み、逆にしずかが再び腰を落とすタイミングに合わせて上手捻り。

攻められず、サガリが僅かに揺れるのみ。

隆美の左足が僅かに前に体重を掛ける。

隆美が一瞬だけ崩しを仕掛け吊り合いに持ち込み、同時に直ぐに腰を落としてしずかを浮き足立たせ、

さらにもう一度吊り合いに。そこで隆美が切り返し、しずかは土俵に転がってしまう。

このイメージも、僅かにしずかが右足を下げる。

隆美が吊り合いをフェイントに腰を落とし、さらに吊り合いに持ち込もうとする。

その瞬間しずかが身体を強引に潜り込ませ切り返しを狙った隆美の足を捕らえ、大股で返す。

これも隆美が動きを止めて、僅かにしずかが右足を下げただけだ。

数センチ単位の攻防が続くが、この攻め合いは着実にしずかの体力を奪い、限界を迎えていた。

一方、隆美もしずかと同じように体力の限界を迎えていた。

先読みの能力の最終進化形である、自分の全身と相手の全身の僅かな動きから全ての攻め手を感じとる能力。

だがこの能力の攻防はひたすら探り合いだ。

相手の知らない攻めを用いた者の勝利。

すでに隆美は自分の持っている相撲技を全て仕掛けた。

その全てがしずかに食い止められていた。

後は何か違う手段を編み出さなければならない。

まだ隠相撲に存在しない技を。

さらに長いこう着状態で時間が続く。

そうしている間に、とうとう限界を迎えた。

限界を超えたのは……しずかだった。



しずかは突然目の前が真っ白になるのを感じた。



組んでいる感覚、

土俵に立っている感覚、

相撲を取っている感覚、

その全てから身体だけが分離してしまったような感覚。

そして、その真っ白な空間の中で、しずかは相撲を取っている自分の姿をみた。

組み合っているのは自分自身だった。

土俵中央、左四つ。

いま自分が取っているハズの相撲と同じ状態だ。

しずかは考えてみる。

何か手はないのか……この状態が強引にでも崩す方法。

すると、東側の自分が猛然と攻め始めた。

有りとあらゆる相撲の攻め手を持って自分を崩そうとする。

その全ては重い腰と素早い足裁きに完璧に封じ込まれた。

また降着に戻ってしまう。

このとき、不意にしずかは気づいた。

そうだ、また使っていない手がある。

私は偉大な先輩から、もう一つ、隠れ相撲の攻め手を教わっているじゃないか。

そう思った瞬間、今度は西側の自分が縦四つの組み手に持ち込み、イカせ合いに転じた。

けど、ダメだ。

隆美さんはこの手も知っているし、当然私より離れしているはずだし、リスクが高すぎる。

そう思うと、案の定攻めた西の自分が苦戦し始め、劣勢に立っている。

……そうだ、ここで本当の態勢に持ち込めば……。

しずかが閃くと再び世界が真っ白になった。



土俵中央、がっぷり四つ。

既に30分を超える攻防、水入りは一度も無し。

隠相撲の幕内に入る全ての力士は、この相撲が死闘であることを察して、

全員が花道の奥から土俵を観戦していた。

この先に何かが起こる。全員がそう確信していた。

そして、しずかが動いた。

深く差していた左下手を、突然前褌の縦褌を掴んだのだ。

隆美は「うっ」と声を漏らしながら、自分もしずかの縦褌を取る。

ここまで来て縦四つの攻防なのか?

だが、攻めるしずかのリスクが大きい。

隆美は縦四つでも万全の強さを誇るが、しずかは縦四つで敗れた数の方が遙かに多い。

縦褌が食い込み、堪らず両者の腰が持ち上がる。

しずかと隆美、二人と喘ぎ声がハッキリと漏れた。

しずかがさらに仕掛ける。

本来であれば後ろ側の縦褌を取るハズの手を、敢えて抱きつくように隆美の首に回し、

さらにキスをしたのだ。

この組み手はまだ受けたことが無かった隆美は、何とか五分の態勢にしているものの、

しずかに主導権を握られ苦しそうな声を漏らしながら腰を振らされている。

無敵の横綱の呼び声高い隆美が感じてしまっているのだ。

しずかはキスを止めると、今度は隆美の肩に顎をのせ完全に乳首同士を圧迫させ始める。

キスの攻撃に完全に力を奪われた隆美は、この胸の重ね合いも完全にされるがままになってしまう。

顎が上がり、背中が僅かにしなり、

しずかの揺するような攻めに何度も何度も吐息と喘ぎ声を繰り返している。

隆美が久々に見せる苦しげな姿だった。

しずかの手の動きが速度を上げる。

隆美の右足が逃げ場を求めて宙に浮いた。

喘ぎ声が激しさを増し、限界寸前に追い込まれている。

しずかの攻めは止まらない。

苦し続ける隆美のマワシを、さらにきつく食い込ませた瞬間、

最強の横綱の断末魔の悲鳴が会場中に響き渡った。

それでも、しずかの攻めは終わらない。

完全に果てた隆美のマワシを掴んだまま、渾身の力を込めて持ち上げたのだ。

イカされ力尽きた隆美に防ぐ手段はない。

高々と持ち上げられた隆美の姿は、土俵に向かって真っ逆様になっていた。

ノーザンライトボム。

しずかはプロレス史上、最強レベルの投げ技を相撲技に昇華したのだ。

隆美の身体が背中から土俵に叩き付けられる。

轟音と共に横綱の「ぐぅっ!」というくぐもった悲鳴が聞こえた。

行司の軍配がしずかに上がる。

しずかが息を大きく荒げながらゆっくりと身体を起こす。

観戦していた全員から、大歓声が上がっているのをぼんやりと聞いた。

目の前には、最強の横綱が倒れている。

隆美は激しい息を繰り返し、汗と土にまみれた肢体を晒しながら、完全に失神していた。

横綱の歴史的な大敗北、しずかの世代交代が近い事を告げる超大金星だった。



しずかは、両手を突き上げて叫んだ。

ついに、難攻不落の最強の横綱を、真っ向勝負で破った瞬間だった。







このあとしずかは一気に出世を遂げ、大関に昇り詰めた。

追いかけるようにして双子の妹のしずかも昇進した。

双子の大関と二人の横綱は何度も死闘を繰り広げているが、

まだ世代交代には至っていない。

ただし、この四つ巴の勢力図は、隠相撲の歴史の中で、

四天王時代と呼ばれいくつもの名勝負を生んだ、実力伯仲の激動の時代となった。





双子の大関が、双子の横綱になれたのか、

新しい世代の挑戦を受けて立ったのか、



それはまた、別の物語。












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