隠相撲 十日目





私こと渡邉しずかは、九日目を終えて四勝五敗。

四連敗の後の白星で何とか弾みをつけたいところです。

ですが、今日の相手もまた嫌な…と言うか微妙な相手です……。



今日の相手は“名取 あげは”さん。

前頭4枚目で、身長168センチ、体重60キロ、スリーサイズは85・62・86、

大銀杏を結ってもちょっとトロンとした目をして、少し天然な大学一年生のお姉さんです。

あげはさんの凄いところは勝っても負けてもニコニコしているし、

控え室で集中をしたり、土俵の上で気合いを入れたりしたところを、誰も見た事が無いんです。

なのに、前頭の上位に位置するなんて、並みの人じゃ出来ません。

あげはさんの取り組みは、みんな嫌がります。

それは、あげはさんが攻めてこないからです。

あげはさんは脇を差した両差しが得意です。

巻き返しの技術は隠相撲の中でも類を見ないくらい達人レベルです。

気付いたときには脇を差されている。

そんなことが良くあります。

ですが、あげはさんはそれから攻めてきてくれないんです。

腰が重い上に自分から動いてくれないから、脇を指された相手は否応無しに動きを封じ込まれます。

ここから先は、行司泣かせ観客泣かせ、力士泣かせの攻めず動かず。

そして最後には無理に動こうとした相手を外掛けや内掛けで倒してしまうんです。

私との戦績は私の三勝八敗。

水入りの取り組みが六回。

比較的相性が合う相手になりますが、組み負けなかった時は私の勝ち、組み負けたらあげはさんの長い相撲の餌食です。

私の不思議なビリビリの感覚も、防戦が得意のあげはさんに何処まで通じるか……少し不安です。



呼び出しを受けて私とあげはさんが土俵に上がります。

あげはさんは木綿の藍色のマワシです。

蹲踞をして塵を切ると、あげはさんの懐の深さにいつも驚きます。

そんなに背が高いわけではないのにいつもそんな印象を受けるあげはさんは、やはり強い人なんです。

塩を撒いて最初の仕切り。

私はゆっくりと仕切り線に拳をつけます。

あげはさんは、私に合わせるように仕切り線に拳をつけました。

どうやらあげはさんは私に合わせてくれるようです。

私は一旦間合いを嫌い、立ち上がりました。

呼吸も合っていましたが、あげはさんが私に合わせてくれるなら、折角なのでもう少し集中をする時間を貰います。

私はもう一度塩を撒き、二度目の仕切りに向かいます。

ここでも呼吸はあっています。

私は両脇にピリピリした感覚を覚えています。

どうやら、やはり脇を差す事を狙っているみたいです。

なら私のやる事は…やっぱり真っ向勝負だけです。

私は「ふー」とゆっくりと息を吐きました。

『……はっけよい……』

『……はっけよい……』

私とあげはさんにしか聞こえない声が頭に響きます。

いけるっ!

『のこったっ!!』

私とあげはさんが同時に立ち上がりました。

脇を締めて私のマワシを狙ってきます。

私は同じように脇を締めてあげはさんのマワシを狙います。

けど、これはフェイントです。

私はあげはさんと衝突した瞬間、身体の力を全て両手に乗せて、あげはさんの両胸を掴み、一気に押しに出ます。

「うくっ……」

あげはさんは少し声を漏らして、珍しく後退します。

どうやら私がマワシを取らなかった事で動揺したようです。

「……ふっ!」

「あっ!?」

ですが、それは一瞬でした。

あげはさんの両肘が私の肘を押したと思った瞬間、私が脇を締めて押しているのに、あっという間に両手を巻き返され、

私は両脇を差されてしまったのです。

「くっ!!」

私は慌ててせめて左だけでも巻き返そうとしましたが、

既にあげはさんは腰を落とし、巻き返されないように私の身体に両腕をぴったりとつけています。

仕方なく私は両上手であげはさんと組み合い、腰を落としました。

あげはさんの形です。

「はっけよーい……」

「……くっ……」

「んっ……」

こうなっては迂闊には動けません。

前に出ても後ろに引いても、右に崩しても左に崩しても、あげはさんより私のバランスが危うくなります。

「よーい、はっけよーい……」

「……むっ……」

「……うっ……」

こうなったら、どちらかが我慢できなくなるまで根競べしかありません。

私は自分から深く腰を落とし、両足をしっかりと開いて土俵を踏みしめます。

あげはさんも同じように深く腰を落として、私のあらゆる攻めに備えます。

土俵、やや東寄り。

胸を合わせてがっぷり四つです。

ですが、脇を差されている以上、私の方がやや不利です。

「……はーっけよーい……」

「はぁ……はぁ……」

「……はぁ……はぁ……」

行司が囃しますが互いに動きません。

この状態で一分、二分と時が過ぎていきます。

この間は互いにイメージのぶつけ合いです。

こうして来たらこうするぞ、ああして来たらああするぞ、と組み手の微妙なバランスで仕掛けあうんです。

実際に身体が崩れるような事はありませんが、

このイメージのぶつけ合いに負けていると、いざ攻める時になったら本当に身体が動かなくなっているんです。

私はただ組み合っている状態でも必死に反撃できるイメージを返し続けます。

さらにこの状態で五分が経過しました。

動かないとは言え神経をすり減らす、精神的な消耗戦です。

「……はーっけよい……」

「はぁ……はぁ……はぁ……」

「はぁ……はぁ……はぁ……」

お互いまだ動けません。

私もあげはさんも大分じれてきたようで、先程から身体に疲労を感じ、少しずつバランスを失い始めています。

そろそろ頃合です……。

「……やっ!!」

「うっ!?」

私の崩しは一瞬だけ。

両上手で一気にあげはさんに寄るだけです。

ですが、その一瞬だけであげはさんの、鉄壁の守りが崩れたんです。

「ふっ!!」

「くぅっ!!」

私はこの一瞬で左を巻き返し、仕立てを取りました。

今度は私の形です。

「んっ!」

「くっ!」

あげはさんが再度巻き返そうとしますが、今度は私がそうはさせません。

どうやらあげはさんも相応に消耗していたようで、一瞬の隙に巻き返せました。

勝負は、まだこれからです。

私とあげはさんは、再び膠着状態に陥ります。

「……よーい、はっけよーい……」

「はぁ……はぁ……はぁ……」

「はぁ……はぁ……はぁ……」

互いの息遣いだけが響き、サガリがゆらゆらと揺れる時間が過ぎます。

汗が大分滲んできました。

額から頬に掛けて流れ落ち始めています。

この間に、私は少しずつあげはさんを崩し始める事に成功していました。

私に有利な左四つの状態とは言え、あげはさんの腰は相当重いです。

ですが、少しずつですが、私とあげはさんの足が動き始めたのです。

この調子なら水入り前に決着がつけられるかもしれません。

「……はっけよい……」

「はぁ、はぁ、はぁ……」

「はぁ、はぁ、はぁ……」

再び行司さんが囃した瞬間、私の全身がビリッとしました。

きたっ!

「ふっ!!」

あげはさんの渾身の寄り。

私の身体を自分の身体で押し上げる基本通りの寄りです。

ですが、私はこの瞬間を狙っていました。

「おりゃあっ!!」

「ああっ!?」

私はあげはさんの体重移動を利用して、逆にあげはさんを吊り上げたのです。

あげはさんは慌てて足を暴れさせますが、私はここぞとばかりにあげはさんを土俵際へ運びます。

「くっ!」

「くはっ……」

私が吊り終えた所は、まさに土俵際ギリギリ一杯です。

「うっ……くくっ……」

「あっ……あくっ……」

「ノコッタノコッタノコッタ!! ノコッタノコッタノコッタ!!」

私とあげはさんは土俵際一杯で吊り合いの根競べに突入です。

腰の重いあげはさん相手に下手に寄り倒しに行けば、逆転のうっちゃりが待っています。

胸を合わせているとはいえ、油断できません。

現に、私の身体だってあげはさんの吊り返しで背伸び状態なんです。

「ノコッタノコッタノコッタ!! ノコッタノコッタノコッタ!!」

「くっくっ……んっんっ……」

「うくくっ……あっあっ……」

ジリジリとした吊り合いが続きます。

私はあげはさんの重い腰に手を焼いて決め手に欠いてしまっています。

その時でした。

身体中にビリビリッとした感覚が走り、警告を発したんです。

「こっ……このぉぉっ……くっくっ……」

「あっあっ!? あくっ!! んっくっ……」

なんとあげはさんは吊り合いの状態のままゆっくりと身体を反転させたんです。

背伸び状態だった私は耐えることが出来ず、俵を背負ってしまいます。

一転して私の大ピンチです!

「ノコッタノコッタノコッタ!! ノコッタノコッタノコッタ!!」

「あっあっ……くっ……はっあっ……」
「くぅぅっ……んっくっ……」

あげはさんの吊り寄りを、私は必死に喰い止めます。

あげはさんもこれ以上勝負を長引かせる気は無いようで、必死に攻め込んできます。

ですが、ここまで来たら私も意地でも負けられません。

「ノコッタノコッタノコッタ!! ノコッタノコッタノコッタ!!」

「んっんっ……」

「くぅっ……はっくっ……」

膠着が続きます。

「ノコッタノコッタノコッタ! ノコッタノコッタノコッタ!!」

「うっ……くっ……あっあっ……くぅぅっ……」

「あっあっ……くぁっ……あっんっ……」

更に膠着が更に続きます。

ですが、私は完全に落ち着いていました。

なぜなら、あのビリッがこないからです。

「ノコッタノコッタノコッタ!! ノコッタノコッタノコッタ!!」

「はっんっ……くっはっ……」

「あっ……あっはっ……あっあっ……」

行司さんが囃します。

ですが、私はそれでもまだ諦めません。

次の瞬間、私は待ちに待ったビリッを身体中に感じました。

「はっくっ……はっんっ……くっんっ……こ、これでもかっ!?」

なかなか土俵を割らない私にじれたあげはさんは、私の体を浴びせて寄り倒そうとしました。

ですが、これこそ私の待ちに待った瞬間でした。

「やあああああっ!!!」

「うわあああっ!?」

私は完全にあげはさんを吊り上げていました。

完全に浴びせ倒せると思っていたあげはさんは我を失って抵抗すらしません。

あとは身体を捻り、あげはさんを土俵下へ投げ飛ばすだけでした。

「うあっ!!」

「きゃっ!!」

私とあげはさんが同時に土俵下に落ちます。

「勝負あった!」

当然軍配は、うっちゃりを決めた私に上がりますが、私はもう確認する体力は残っていませんでした。

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」

私とあげはさんは土俵下で重なり合ったまま荒い息を繰り返します。

今日も精根尽き果てるような死闘でした。

私は何とか身体を起こすと、まだ倒れているあげはさんに手を差し伸べました。

「はぁ、はぁ、はぁ……もう、負けませんからね……」

「はぁ、はぁ、はぁ……敵わないなぁ……今度は私が頑張らないとね……」

立ち上がった私とあげはさんは、土俵で一礼して死闘に幕を下ろしました。

土俵を降りるあげはさんはやっぱりサバサバしています。

きっと「次はもうちょっとゆっくりしなきゃダメかなぁ」なんて考えていそうです。

いくらあげはさんのスタイルだと言っても、これ以上長い相撲は非常に迷惑だと思います……。

私はちょっと微笑を浮かべながら勝ち名乗りを受け、ゆっくりと手刀を切りました。





「もっともっと、強くならなきゃ!」





渡邉しずかの戦績





十日目終了 五勝五敗





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