相撲 五日目




三勝一敗で五日目を迎えた私こと渡邉しずかですが、今日はちょっと勝てそうにありません。

今日の相手は、東の横綱「秋山 隆美」さん。

つまり、現在隠相撲で力士として闘っている女性の中でも、最強の人なんです。

年齢は25歳、身長175センチ、体重65キロ、スリーサイズは95・63・99。

完全に私の体格を上回っています。

大銀杏を結って土俵に仁王立ちする姿は、まさに最強の女力士です。

隆美さんは当然の如く、ここまで四戦全勝。

私との対戦成績も、私の〇勝三敗。

はっきり言って、並みの力士とは次元が違う人です。

今までの三回の対戦も、

一度目は一発で押し出され、

二度目は吊り落としで叩き付けられ、

三度目は隆美さん必殺の右の上手投げで土俵に転がされました。



隆美さんには以前「貴方とは手が合うみたいで嬉しいわ」って言われた事があります。

確かに私と隆美さんは、左四つを得意にしています。

正確には私はもろ差しの寄りですけど、右四つより左四つの方が得意なのは確かです。

けど、手が合うのにここまで完敗していると言うことは、

私と隆美さんのレベルに大きな差があることの証明です。

多分、私のレベルを10とすると、隆美さんのレベルは少なくとも50です。

どう考えても、全てにおいて勝ち目はありません。

けれど、諦めるわけにはいきません。

私に「強くなった」と言ってくれた枝里子さんの為にも、

今までのような無様な負け方を喫する訳にはいかないんです。



私は控え場所で胡坐を組んだまま、じっと集中を高めます。

今日は横綱との取り組みのため、なんと初の結びの一番です。

心臓がドキドキと早鐘のように鳴っています。

今私の目の前では、私を初日に破った明菜さんが、

西の横綱の「神田 エリカ」さんが激しい相撲を展開しています。

本来、六枚目の私が結びの一番を取る事は無いのですが、



戦績が一敗で優勝戦線に混ざってしまっている為らしいです。

私の目の前で大きな明菜さんの身体が土俵に転がりました。

エリカさんの左の下手出し投げが炸裂したんです。

いよいよ、私の取り組みです。

呼び出しを受けて土俵の上へ。

土俵入りの所作を、隆美さんと合わせて行います。

隆美さんのマワシは繻子の深い紫です。

三役になると繻子のマワシを締める事が出来ます。

繻子のマワシは強さの証明でもあるんです。

体格も実力も、全てが劣っている私が隆美さんに勝るもの。

それは、気迫しか残っていません。

「いい表情ネ。しっかりやんナ」

力水をつけてくれたエリカさんにエールを送られました。

私は力強く頷きますが、声は出しません。

言葉を出せばその分だけ力が抜けてしまうからです。

最初の仕切り。

私は隆美さんを睨みつけながら構えをとります。

隆美さんは右拳をつけただけで、悠然と立ち上がりました。

二度目の仕切り。

ここでも私はいつでも飛び出せるように構えますが、隆美さんは悠然と私を見下ろしているだけです。

私は隆美さんに立つ気が無い事を察して、自分から仕切りを止めました。

そして時間一杯になります。

自分で言うのもなんですが、今は怖いもの無し状態です。

全てに於いて劣っているなら、全てにおいて真っ向からぶつかるまで。

単に開き直っただけですが、ここまできたらもう関係ありません!

私は景気付けに清めの塩を多めに巻きました。

塩は土俵に粉雪のように舞い落ちます。

「手を下ろして……」

私はゆっくりと構えをとります。

隆美さんも自分のペースでゆっくりと構えます。

次の瞬間、同時に拳が仕切り線を叩きました。

「はっけよいっ!!」

私は真っ向から隆美さんにぶちかましを仕掛けます。

隆美さんも同じようにぶちかまし。

私と隆美さんはぶつかった瞬間、がっぷりの左四つに組みました。

互いに得意な組み手で、腰をどっしりと落としています。

ここからはどちらの腰が上がってしまうかの勝負です。

けど私にもう迷いはありません。

先手を取ったのは私の左の下手からの崩し。

「むっ!」

けど隆美さんの腰は重く、微動だにしません。

続いて隆美さんの反撃。

私と同じように左下手からの崩し。

「くっ!」

私は左足でしっかりと踏ん張り、隆美さんの崩しを防ぎます。

次はこちらの番とばかりに、私は右上手で捻りを仕掛けます。

「ふっ!」

これは隆美さんが左下手でおっつけ返し封じ込めます。

「せいっ!」

「くぅっ!」

隆美さんの強烈な寄り。

けれど私は隆美さんの寄りが力発揮する前に腰を落とし、寄りを封じます。

「えいっ!」

「むんっ!」

私の寄りも、隆美さんが腰を落とす事で封じ込めました。

私と隆美さんは、先ほどからほとんど立ち位置を変えることが出来ません。

「……はっけよーい……」

行司さんが囃しますが、どうしても動けません。

私の崩しを隆美さんが封じ、隆美さんの捻りを私が防ぎ、

隆美のおっつけを私が凌ぎ、私の投げを隆美さんが堪える。

これほどの攻防を繰り返しても、隆美さんは全く動きません。

まるで大きな山を相手にしているような錯覚を覚えます。

「……はっけよーい……」

再び行司さんが囃します。

ですが、変わらず動けません。

「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」

次第に私は息を乱し始めました。

全く動いていませんが、全神経を集中して組み合っている所為で消耗が激しいんです。

「はぁ……はぁ……」

「っ!?」

私は組み合いながら耳を疑いました。

あの隆美さんが、私を相手に息を切らせ始めたのです。

今までの対戦では、息を切らすどろこか汗一つだってかかなかった、あの隆美さんがです。

ですが、これで一つ勝ち目が出てきました。

隆美さんだって人間です。

全神経を集中して組み合っていれば、隙だって生まれるかもしれません。

私はここに勝機を見出し、極々僅かな動作しかない攻防に突入しました。

「はぁ、はぁ、はっ……はぁ、はぁ……」

「ふぅ……ふぅ……くっ……はぁ……はぁ……」

がっちり組み合い、完全に胸を合わせた左四つ。

互いにマワシは深い位置で取り合い、腰が落ちて微動だにしない状況。

私と隆美さんの息だけが響き、時間だけが経過していきます。

「よーい、はっけよーい……」

行司さんが囃しますが、もう私の耳には行司さんの声は入りませんでした。



私は不思議な状態に陥っていました。

先ほどから、身体に電気みたいなのが走るんです。

私が攻めようと思うと身体のどこかがピリッとします。

逆に隆美さんが攻めようとすると、攻められる所がピリッとするんです。

もうずっと前にこの感覚が出始めて、何だか動けなくなってしまいました。

ですが、この感覚が出始めて以来、隆美さんも何故か全く動かなくなっています。

「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ……」

「はぁ、はぁ、くっ、はぁ……」

ですが、電気はまるで竹刀で叩かれているような感覚です。

ピリッとするたびに体力を消耗してしまいます。

このがっぷり四つの攻防は、なんと10分以上続けられました。

そして、互いに動けないと判断が下され、遂に行司さんから水入りが指示されたのです。



「ぜぇっ、ぜぇっ、ぜぇっ、ぜぇっ……」

私はいつの間にか全身から滝のような汗を流していました。

疲労もいつも異常に激しいです。

私は一度身体中の汗を拭い、力水に口を含みました。

全身に水が染み渡るような錯覚を覚えます。

横目で隆美さんの様子を窺うと、隆美さんも随分疲労困憊の様子です。

そもそも、隆美さんが水入りを挟むほど苦戦したのが何時以来かというほどです。

私にとってみれば、隆美さんという最強の横綱相手によくぞ水入りに持ち込んだっと言いたい所ですが、

ここまできたら大金星を狙うしかありません!


再び元の態勢に戻った私と隆美さん。

しっかりとマワシを引き合い、再び腰を落とします。

「はっけよいっ!」

行司さんが私の隆美さんの肩を叩きます。

その瞬間、全身に電流が流れたような錯覚を覚えました。

やばいっ!!

「いやぁぁぁぁっ!!」

「くあぁぁぁっ!!」

隆美さんの渾身の吊りです!

ですが、私は背伸びになる前に両足をしっかりと踏ん張り、

腰を前に突き出すようにして完全に隆美さんの吊りを防ぎます!

隆美さんも両足をしっかりに踏ん張っており、力の入る吊り合いが展開されます。

「ノコッタノコッタノコーッタ!! ノコッタノコッタノコーッタ!!」

「くぅぅぅっ!!」

「んん〜〜〜っ!!」

私も隆美さんも一歩も下がりません。

互いの足の裏がしっかりど土俵を掴み、腰を落とした釣り合いという珍しい攻防になりました。

「ノコッタノコッタノコッタ!! ノコッタノコッタノコッタ!!」

「ふんっ!! くぅっ!! んっ!!」

「くっ!! あくっ!! うんっ!!」

一見互角の攻防ですが、やはり地力に差があるようです。

隆美さんのねじり上げるような力技の吊りに、私の腰が強引に浮かされ始めます。

必死に反撃をしながら腰を落とそうとしますが、どうしても耐え切れません。

「くくっ……うおおおおおっ!!!」

「はぁ、はぁ、ああああっ!!!」

とうとう私は吊り上げられてしまいました。

完全に力負けです。

「負けるもんかぁぁぁっ!!!」

「うぐっ!?」

けど吊り上げられた瞬間に、私は必死に宙を蹴ってもがきます。

態勢が悪くなったのか、隆美さんは呆気なく私を下ろしました。

再び左四つの態勢に戻ります。

「ぜぇっ、ぜぇっ、はぁっ、はぁっ……」

「はぁ、はぁ、くぅ、はぁ……」

互いに息遣いは更に荒くなっています。

隆美さんもこれだけの死闘でスタミナが尽きていないとは思いませんが、

私の方は身体中が悲鳴を上げているようです。

「……はっけよぉーい……」

「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ……」

「ふぅ、ふぅ、ふぅ、ふぅ……」

私も隆美さんも今度は本当に動けません。

先ほどと同じくらいの汗が、本当に滝のように流れています。

それから再びがっぷり四つに組み合った状態で時間が流れました。

「……やるわね……いつか貴女は私を追い詰めるようになると思っていたけど……

 今日ほど苦戦した事はなかったわ……」

「はぁ、はぁ、はぁ…」

私は自分の耳を疑いました。

隆美さんの声が楽しそうだったんです。

しかも、先程まであんなに息を荒げていたのに、もう平然と話しているなんて……!!

「これはね…強くなった貴女への餞別…早くあたしのところまで這い上がってきてね……。

 いくわよっ!!」

「くっ!!」

私の全身にまた電流が流れたような感覚が走ります。

隆美さんが仕掛けたのは、最強の右の上手投げ。

私は必死に右足で踏ん張ろうとします。

「はぁっ!!」

「……えっ!? そ、そんなっ……きゃうっ!!」

次の瞬間、私は呆気なく空中に浮いていました。

見えている世界が勢いよく流れ、

私は訳の分からないうちに身体が反転して、土俵に叩き付けられてしまいました。



私の……完敗……。



隆美さんは、私を高圧的に見下ろしています。

大の字に倒れてしまった私には、これが隆美さんと私の差なんだと突きつけられたように思えました。

「はぁ、はぁ、はぁ……また上がってきなさい……。

 枝里子さんの代わりに、あたしが可愛がってあげるわ」

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」

私は呆然とその言葉を聞いていました。



疲労困憊の身体を何とか起こし、一礼をして土俵を後にします。

手刀を切る隆美さんの姿は、やはり最強の力士の姿です。

ですが、何故かこの時、私には隆美さんの声が聞こえなかったんです……。



「私は……隆美さんの足元にも及んでいないのかもしれません……」



渡邉しずかの戦績

五日目終了 三勝二敗



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