相撲の力 1−3



悠里が踵を返して、別の部活を回ろうとしたときだった。



「ちょっと! そこの二人!」



突然呼び止められた悠里と月葉はピタリと足を止めて振り向いた。



何と今しがた熱戦を終えたばかりの桃が土俵の手前で、



悠里と月葉を挑むような目つきで睨んでいた。



「ねぇ、あんた達ってプロレスラーなんでしょ?



 ただ見ているだけじゃ物足りなくない?」



明らかに挑発の色が見え隠れしている言葉遣いだ。



月葉が心配そうに隣を見ると、悠里がきょとんとした表情をしている。



「それって、あたしがそこに上がっていいってこと?」



「そうだよ。プロのレベルってのを見せてよ」



「……ふ〜ん……」



悠里はちょっと思案するように周囲を見回す。



期待に満ち満ちた観客の視線と、



揉め事は起こさないでほしげな月葉の視線と、



明らかに見下した表情の先輩が一人。



考える……考える……がんがえる……がまがえる……。



「……決めたっ……」



「あぅあぅ……」



悠里の表情がパッと引き締まる。



同時に月葉がうなだれる。



月葉だけが悠里の「決めた」の意味を理解していたのだ。



即ち、観客の期待に沿った行動=揉め事を起こすことだと。







靴を脱ぎ、靴下も脱いではだしになる。



次の瞬間、悠里がパッと駆け出した。



桃に向けて一直線に。



誰もが驚くほどの俊敏さで桃の手前まで接近、



衝突すると思われた瞬間、体操選手並みに鍛えられた跳躍力で跳び、



桃の肩を跳馬代わりに、身体を空中で回転、土俵の上にフワリと降り立つ。



「……閃光の……妖精……」



誰かが呟いた。



悠里の一連の動作に、あっと言う間にその場にいた全員が引き込まれてしまっていた。



しかし、月葉だけは「悠里さん、パンツが……」と恥かしげに俯いている。



悠里はたっぷりと時間を掛けて立ち上がると、余裕の笑みを浮かべる。



「先輩? ケンカを売るのはいいですけど、後悔しても知りませんよ?」



誰もが我が目を疑ったに違いない。



立ち上がった悠里の身体が、先程よりも大きく感じるのだ。



胸を張り、まったく物怖じしない姿が、彼女が並外れている証明に思えた。



「…………やってくれるじゃない……」



規格外のポテンシャルを目の当たりにさせられた桃だが、



それで闘争心が無くなるわけもない。



土俵の上で向かい合い、真っ向から睨みあう両者。



上背は165センチの桃の方が上だが、160センチの悠里も全く見劣りしていない。



「先生、マワシ貸してもらえませんか?」



「う、うむ? あ、マワシな、ああ、うん……」



いきなり話を振られた顧問の方が右往左往する始末。



それほど二人の間には緊張が走っていた。



やがて瑠璃子が呼びのマワシを持ってくると、悠里は桃から視線を外さず受け取る。



「月葉ちゃん、つけるの手伝って!」



「手伝ってって……スカートの上からつけるつもりですか!?」



「うん……やっぱり見た目から変かな?」



「変ですっ!」



「でも一度上がった以上は引き下がれないんだよねん」



「…………わかりましたよ、もう……」

恥じらいについて小一時間説教をしたくなるが、この場では仕方ない。



月葉は少し手馴れた手つきで悠里のマワシを締めていく。



手伝おうとしていた瑠璃子の出る幕がない。



「……もしかして、あなたは相撲の経験があるの?」

「はい。日本伝統の武術ですから、多少なりとも経験しています」



「そう……」



瑠璃子は月葉の迷い無い返事に戸惑いを隠せない。



やっぱり、この二人はどこか違う。



まるで、自分と同じ世界に住んでいないような存在感。



こんな感覚にさせられる人を、瑠璃子はまだ数えるほどしか知らない。



やがて、悠里の腰にマワシが締められた。



かなり強引だが巻きつけられているマワシはしっかりしたものだ。



制服の上着を脱ぎ、ブラウスの腕まくりをしてやる気満々の悠里だが、



周囲からは奇抜な格好に失笑が漏れている。



「こらーっ! 笑うなんて失礼なんだぞーっ!」



笑っている観客に愛想がてら文句をいう悠里には緊張は感じられない。



「相撲なんて出来るのかーっ!?」



「失礼だな〜、じゃー、しょーこ見せちゃうよ!」



そう言うと悠里は大相撲でも見られないような、



足が直角に天を向く見事な四股を踏んでみせる。



観客から驚きの声が上がるが、また月葉は俯いて顔を赤らめている。



しかし、対戦相手の桃には、悠里の姿は面白く映らない。



相撲を舐めているとしか思えないのだ。



「……桃ちゃん……」



「なに?」



「……相手を見くびっちゃダメ。



 あの子はやっぱり曲がりなりにもプロだよ。



 行き当たりばったりで勝てるほど、甘い相手じゃない」



「…………」



親友の瑠璃子の言葉に、桃は戸惑った。



それ程の相手にはどうしても思えないのだ。



ただし絶対に負けるわけにはいかない相撲になることは間違いない。



桃は改めて気を引き締めると、瑠璃子に向かってしっかりと頷いた。







「……両者、前へ……」



行司の顧問に促されて、桃と悠里が仕切り線を挟み向かい合う。



闘争心むき出しの桃に対し、悠里はどこか余裕すら感じさせる。



「プロのレスラーって言ったって、どうせ中学生のごっこでしょ?



 本当に鍛えた力士と渡り合えると思うの?」



悠里にしか聞こえないように呟きながら、ゆっくりと桃は蹲踞した。 



「……ごっこかどうか……教えてあげますよ……」



悠里もまた、桃にしか聞こえない声で呟いた。



「……構えて……手を付いて、待った無し……」



両者、ともに力強い構えを見せる。



「……はっけよいっ!!」



「ふっ!!」



開始と同時に桃が立ち上がる。



いつも通り、右肩からぶちかます右四つ狙い。



しかし、思い通りにはならなかった。



「ひゅっ……っしょおっ!!」



「ぐっ!?」



桃の力が右肩に集中しないうちに、悠里がぶつかった衝撃が身体を突き抜けた。



ドシッという思い音と同時に悠里の額が桃の胸にヒットしていた。



同時に悠里は両差しになり、前褌を取った状態で一気に寄りを仕掛ける。







「ぐっ!! くくっ!!」



強引に腰を浮かせられてしまう桃だが、懸命に足を踏ん張る態勢にする。



その瞬間、右足が得俵まで掛かってしまっていた。



文字通り、一瞬の電車道だったのだ。



「うりゃああああっ!!」



「くっくっ……ぐああああっ……」



更に悠里は深くマワシを差すと、吊り寄り気味に止めを刺しにいく。



桃は両上手で悠里を組みとめる形で必死に土俵から足が出るのを堪える。



「のこったのこった!! のこったのこった!!」



いきなりの大攻勢に観客からは喝采が上がる。



「桃ちゃん!! 脇を締めて!!」



瑠璃子が悲鳴に近い声を上げる。



完全に両脇が開いてしまった桃の状態ではうっちゃりで逆転する事すら出来ない。



「のこったのこった!!」



「うりゃあっ!!」



「うあっ!! ……くっ!!」



悠里の身体を引いての右下手の出し投げ。



慌てて足を運び懸命にのこる桃。



「のこったのこった!!」



「ふっ……せいっ!!」



「ぐっ……うあっ!? ……ぐっ!!」



しかし悠里は間髪いれず再び組み付き、一瞬での内無双。



桃は慌ててバランスをとり足を戻す。



「のこったのこった!!」



「むんっ!! それっ!!」



「くっ……ぐぐっ……あっ!? くうっ!!」



今度は吊り寄りと見せかけての切り返し。



桃は必死に踏ん張るしかない。



「のこったのこった!!」



「こんのおおっ!!」



「うわっ!?」



ここでやっと桃の反撃。



切り返しを仕掛けた悠里の足に向かっての内掛け。



浅いが悠里の態勢を崩すには充分で、悠里は一瞬脇を空けてしまう。



その隙を逃さず、桃は右を差した。



「のこったのこった!!」



「えいっ!!」



「ふんっ!!」



悠里は桃の本命がこの右四つと直感し、直ぐに決着を狙って寄りで桃を追い詰めにいく。



しかし、得意の組み手になれば桃とて負けていない。



真っ向から吊り合いに転じる両者。



「のこったのこった!! のこったのこった!! のこったのこった!!」



「うぐぐっ……くっ……むむっ……」



「くっくっ……んっくっ……あっ……」



土俵真ん中、やや東より。



桃がまだ押されている状態だ。



しかし、桃はじりじりと自分が追い込まれていることを感じていた。



ここまで取り組めば息も上がり、握力が消えてくるはず。



だが、悠里の力は落ちるどころか尻上りに上昇している気さえする。



長期戦は不利。



ならば、己が最強の技に全てを託すしかない。



「のこったのこった!! のこったのこった!!」



「くっ!! くっ!!」



「ふっ!! あまいっ!!」



「くあああああっ!!」



桃は必死に腰を引こうとしたが悠里の引きつけがそれを許さない。



桃の必殺技が右下手を引き付けた左上手の掛け投げなのは先ほどの相撲で分かっている。



しかしそれには充分な体重移動、力場の移動がなければ出来ない。



腰を引いて悠里を引き付ける空間を出そうとした桃の動きを逆に封じ込めた強烈な寄り。



桃は土俵際に向けて一気に追い込まれていく。







負けるっ!!







「うわあああああっ!!」



「きゃっ!?」



桃は直感した瞬間、わき目も振らず左上手投げを仕掛けた。



充分な態勢などもう作れない。



悪あがきなのも分かっている。



しかし、そうしなければ寄り切られるだけだ。



それならば、一か八かの大勝負に出るしかなかったのだ。



「くぅりゃああああっ!!」



「っ!?」



「まさかっ!?」



桃の下手投げに悠里の表情が初めて歪む。



しかし、その瞬間、悠里の超反応に桃は戦慄を覚えた。



否、桃だけではない。



おそらく相撲を理解している者しか気付かなかっただろう。



足元が見えないはずの悠里が、桃の蹴り上げようとした足を防ぎ逆に蹴り上げたのだ。



二人の身体が同時に宙を泳ぐ。



だが、悠里が足を振り上げれば体は逆転し、桃がそのまま土俵下に転がされる。



瑠璃子は思わず目を瞑り、桃でさえ悔しさに瞳を閉じてしまった。







ドザッという土と身体がぶつかる音。



「勝負あった!!」



行司を務める顧問の声。



「くっ……」



「あいたたた……」



桃と悠里は同時に起き上がった。



顧問の軍配は桃に差されていた。



「……なっ?」



「あちゃちゃ……負けちゃた……」



自分の勝利に驚く桃に、残念そうにポリポリと頭をかく悠里。



ひょいと立ち上がると、ブラウスとスカートに付いた埃をポンポンと払い、



土俵の上に戻った。



桃は自分の勝利が信じられず、少し呆然と土俵に戻る。



互いに一礼して土俵を降りると、悠里は駆け寄ってきた月葉に苦笑いをしながらマワシを解く。



「あはは、やっぱ餅は餅屋だね。強かったよ」



「でも惜しかったですね。私は悠里さんが投げ勝ったと思ったのですけど……」



「そーでもないよ、良くて胴体、もしくはあたしの負けだってば」



笑顔で月葉と話す悠里。



その周りの観客は、悠里に惜しみない賛辞を送り、悠里はまた笑顔でそれに応え、



顧問は悠里の後を追いかけていって勧誘すれば、他の部からの勧誘も始まり、



受け答え切れなくなった悠里は「あたしにはやることがある」と捨て台詞と月葉を残して逃亡し、



月葉は何度も頭を下げながら、悠里の後を追いかけていった。







土俵周りには、ようやく静寂が訪れた。



「……すごい……子だね……」



瑠璃子が言葉に出せたのは、それだけだった。



文字通り桁違い。



桃は、相撲の勝負には勝ったかもしれない。



しかしあの場の全ては、あの入学したての一年生が支配していた。



「……瑠璃ちゃん……あたし……あの子のこと……許せない……」



「……桃ちゃん?」



「あの子は……最後、手加減したんだよ!



 瑠璃ちゃんだって気付いていたでしょ!?



 あの子はあたしを投げきれた! なのに、最後にわざと力を抜いたんだ!!」



桃の表情には、瑠璃子が見た覚えがないほどの怒りが明確に宿っていた。



勝負を汚された。



確かにそうかもしれない。



それ以上に、桃は悔しいのだ。



ずっと相撲を続けてきたのに、



プロレスをやっている人間に内容で完敗していることが。



けれど、先輩である桃の面子を立て、自分の面子を保つには、



先ほどの取り組みは一番良い展開であり結果だっただろう。



悠里が自分の能力の高さをアピールし、桃は先輩の意地で逆転勝ちを果たした。



しかし、この結果を全てコントロールしたとすれば、



あの高村悠里という新入生のポテンシャルは、



自分たちより遥かに高いところにある。



瑠璃子は、彼女の能力の高さゆえ、胸騒ぎを覚えるのだった。

























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