相撲の力 2−4
同好会のプレハブの中は、随分と質素だった。
申し訳程度のロッカーに、更衣室はカーテンのような布で遮断するだけ。
それでも、連日のデモンストレーションの成果か、
入会したのは男子が8人、女子が5人。
とりあえず部活申請まで出来そうな勢いだが、まだまだ身体の出来ていないメンバーばかり。
だが、悠里はごっこで済まさせる気は無いらしく、
基礎トレーニングを全員に課していた。
入り口から様子を覗いている桃と瑠璃子は意外と思った。
格闘技をやる女性は、男性と組み合うのが常識となり、
それが逆に敷居が高くなる面でもある。
それ故に格闘系には女子はほとんど集まらないが、
男子、女子両方集まるとは……。
見ていれば俗に言うゴッチ式。
道具を用いないトレーニング方法だ。
まだまだ素人の男子も女子も、腕をプルプル震わせながら必死にこなしている。
「だから、いきなり素人の方にそんな沢山やらせちゃダメです!!」
「でもあたしはふつーにやったし……」
「悠里さんの存在自体が普通じゃないんです!!」
「あー、そーゆー言い方、なんかひどい」
「素人さんにスクワット1000回要求する方がずっとひどいです!!」
先に基礎トレーニングを終えているのか、悠里が月葉に一方的に叱られている。
「ちぇ〜……わかったよう。じゃあこの後は受け身にする〜……」
「当たり前です! 基本の意味を間違えないで下さい!」
どうやら無理難題の練習をやろうとした悠里を、いつも付いている月葉が叱っていたようだ。
やはり彼女もプロレスラーということか。
「……あんなの、あたしでも出来るよ」
トレーニングを見ながら桃が呟いた。
確かに隠相撲の稽古の方がずっと激しい。
「……出来る事と、こなすことは違うと思うよ……」
しかし瑠璃子は悠里や月葉の動きをずっと注視している。
やはり二人は高校一年生の体格ではない。
自分たちは確かに内の筋肉をしっかりつけている。
相撲のトレーニングは表より内側の筋肉に重点が置かれている。
見た目には現れない筋肉。
これが、悠里と月葉にはしっかりと備わっているように見えた。
やがて悠里がリングに上がると、他のメンバーもオズオズと上がる。
練習とは言え、ああいう高い場所に乗れるというのはとても嬉しい事だろう。
悠里は技の練習はさせなかった。
「じゃあ見ててね」と言うと、直ぐに受け身の取り方を教える。
他のメンバーと比べても悠里と月葉の受け身は、おそらく柔道部のそれより綺麗だった。
悠里が感覚的に教えるのに対して、月葉は少し理論を混ぜながら丁寧に指導する。
立ち上げからまだ2週間足らずで理想的な纏まり方。
偶然だったら恐ろしいものがある。
やがて、練習がひと段落したのを見計らい、桃がプレハブの中に足を踏み入れた。
「高村悠里!!」
朗々と響いた声に全員が注目する。
「ルールはそっちに任せる! あたしと勝負しろ!!」
堂々と言い放つその姿に、同好会のメンバーと見物人の視線が集まる。
挑戦された悠里は、ちょっと驚いた表情になっている。
「あ……えーと……あっ! お相撲が強い先輩だっ!」
まるで忘れていたかのような態度、しかも名前すら言わない態度に桃は完全に腹立してしまう。
「あたしと勝負するの? いいよ、やろう!」
そう言うと、悠里は軽快な動きでリングから降りてくる。
闘志をむき出しにする桃とは対照的に、いつも通りの気楽な態度だ。
掴みかかりそうな桃の肩にそっと手が触れた。
瑠璃子だ。
「高村さん……相撲部からプロレス同好会へのの出稽古……と言う形でいいかしら?」
それは暗に挑戦表明ではなく、あくまで鍛錬の一環であるということの確認だ。
「ええ、いいですよ! えっと…………ゴメンなさい、名前教えてください……」
「私は草野瑠璃子、こっちが木下桃よ。2年だから一応先輩ね」
「えっと、瑠璃子ちゃん先輩に桃ちゃん先輩ですね! よろしくお願いします!」
悠里が気さくに頭を下げた。しかし、月葉が無言で悠里の後頭部にエルボーを落とした。
ゴツンという尋常でない音が響く。
「いったーいっ!! 月葉ちゃんひどーい!!」
悠里が抗議するが月葉は取り合わず、先輩である桃と瑠璃子に頭を下げる。
「失礼しました。こういう人間なので気にしないで頂けると助かります」
「あなたは?」
「私は同好会のメンバーで久乃月葉と申します。よろしくお願いします」
「こちらこそ。どうやら貴方の方が話は早そうね」
「はい。一応副会長という立場ですので」
そう言うと、二人は穏やかに微笑み合った。
同じ気苦労をしている者同士だからか、奇妙な友情が生まれるのを感じながら。
試合形式は無制限一本勝負の総合ルールとなった。
ただし悠里の提案で、ロープを背負って3カウントで寄り切りをつけた。
勿論打撃によるKO、関節技によるギブアップもありだ。
レフェリーは月葉が勤める事になった。
リングの上では体育着にブルマー姿の桃と悠里が向かい合っている。
「……ファイト!」
月葉が合図して、桃と悠里がゆっくりと移動し始めた。
軽快なステップの悠里に対し、桃は少し戸惑っているように見える。
当たり前だろう。
いつもは一瞬でぶつかり一瞬の攻防を繰り返す土俵の上。
しかし、今はリングの上なのだ。
間合いは大きく、相手の姿を視認でき、何を仕掛けてくるか全く分からない。
桃は中腰のまま円を描くように間合いを計るが、なかなか自分の間合いが詰められない。
「…………ねぇ、先輩、来ないんですか?」
何時の間にか悠里は棒立ちのようになっていた。
てっきり悠里は相撲でぶつかってくるものと思っていたので、
桃の態度は拍子抜けだった。
「うるさいな……そっちだって仕掛けられなんでしょ……」
桃は挑発し返す。
とにかく間合いの中に入ってくれれば組めるのだ。
組み付いてしまえば後は相撲の独壇場だ。
挑発された悠里は、表情を曇らせる。
「……本当にそう思っているんですか?」
まるで桃に失望したような言い方。
「だとしたら、期待して損した……。
相撲が総合で闘うとしたら、どうすればって考えてなかったんですね」
そう言うと、悠里は感触を確かめるように両手を強く握り締める。
「なら、あたしはプロレスじゃなくて総合でお相手しますね」
そう言うと無造作に桃に向かって歩き始める。
あまりに隙だらけの動きに全員が一瞬呆気に取られる。
「……なめるなっ!!」
怒りに任せて、桃は全力で突進する。
悠里の身体に全力でぶちかましてそのままロープに押し込んで……。
そんな目算だった。
しかし、桃の算段は立った一歩の悠里の踏み込みが潰していた。
「シッ!!」
「ぐっ!!」
カウンターの膝。
ズンッという重い打撃音。
絶妙なタイミングで桃の鳩尾を捕らえていた。
一瞬桃の身体が浮き上がる程の強烈な一撃に、
桃は呼吸が出来ない状態に陥る。
「うげぇっ……げほっ! げほっ!」
桃は四つん這いになり腹部を押さえてダウンしてしまう。
「ほい、もーいっぱつ……」
四点膝蹴りで追撃しようと構えた悠里を、月葉が慌てて抑える。
「悠里ちゃん、離れて!」
「なんでよぉ! このままグランドに行くのがセオリーでしょ!?」
「打撃による明確なダウンです! 追撃は危険とみなしKOです!」
「ふざ、ふざけ、る、な……」
悠里と月葉がもめている後ろで、桃は必死に身体を起こす。
このまま終わるのは、プライドが許さなかった。
「ほらほらぁ! 月葉ちゃんが妨害するから立っちゃった〜!」
膨れる悠里を無視して、月葉は今度は桃を押さえる。
「ダメです、先輩! 今の膝は急所に入っています! 無理はしないで下さい!」
「無理なんてしていない……レフェリーなら邪魔しないで!」
「レフェリーだから止めているんです!」
「…………どいてっ!」
桃は表情をゆがめたまま月葉を突き飛ばし、悠里を睨みつける。
「根性はありますね……相撲もそんなに強くないみたいですけど……」
悠里がつまらなそうに言い放つ。
「……うわあああああっ!!」
挑発に乗ってしまい、桃が再び悠里に突進する。
怒りで我を失っているのか、相撲の動きを全て失った、ただの移動。
情けを掛ければ組み合うこともするだろうが、
悠里は信念を持たずに挑みかかってきた者に容赦などする気は毛頭ない。
「ふんっ!!」
一瞬腰を落とし、相手が何も対応する前に自分の身体をぶちかまして両差し、
ブルマーをマワシ代わりに組み付く。
「ぐあっ! ……くっ!!」
一発で組み付かれた桃だが、組み付けば自分の土俵と悠里を組みとめようと悠里のブルマーを掴む。
「うりゃああああっ!!」
「くぁぁっ……」
だが、悠里が驚異的な突進力の寄りを見せる。
相撲の構えを解き腰を落としていなかった桃に耐えることが出来るわけが無い。
桃は自慢の粘り腰を発揮する間もなくロープに押し込められてしまった。
「月葉ちゃん、カウント!!」
「く、くそっ!! は、放せっ!!」
「ワン! ツー! スリー!」
文字通り秒殺。
桃のために用意されたルールで、逆に桃が負けるという屈辱。
いくら不慣れな総合ルールとは言え、悠里の強さばかりが際立っている。
「こ、こんな……ことって……」
一瞬で破れてしまった現実に、桃は呆然と呟いた。
既に桃のプライドは崩壊寸前だった。
自分は今まで強くなってきたと思っていた。
どんな格闘技よりも力強い相撲に魅力を感じてきた。
それがどうだ。
今の自分の姿が、自分の今まで積み上げてきたものというのか……。
桃はガクリと膝をついたまま呆然としている。
負けたことよりも、自分の心が砕かれているような感覚だ。
「あ〜あ、やっぱ……」
「待って!!」
悠里の言葉を凛とした声が遮った。
今までずっと成り行きを見守っていた瑠璃子だった。
いつのまにか瑠璃子も体操着とブルマー姿に着替えている。
「……その言葉を言わせるわけにはいかないの。ゴメンね」
瑠璃子はそう言って微笑むとリングに上がり、桃の肩にそっと手をかける。
「わかったでしょう? あの子は無策で勝てるほど甘い相手じゃない……」
「瑠璃……ちゃん……あたし……あたしっ……」
「分かっている……選手交代よ……一度降りて休んで……」
「…………うん……」
桃は瑠璃子の言葉に従って、ゆっくりとリングから降り、力尽きたように座り込む。
瑠璃子はリングの上で仁王立ちしている悠里をにらみつけた。
「ふぅん、今度は瑠璃子ちゃん先輩が相手ですか?」
「……ええ。私達にも負けられない理由があるからね」
瑠璃子は悠里に向かって構えを取った。
負ける可能性が高いのは承知の上。
けれど、桃と瑠璃子にはずっと隠相撲の力士として戦ってきた自負がある。
おいそれと引き下がることは、相撲道に反する。
瑠璃子の覚悟を感じ取ったのか、悠里も真剣な表情で構える。
先ほどのような険悪な雰囲気ではなく、
刀を向け合った侍のような緊張感が、その場に溢れる。
「……ふ〜ん……」
不意に悠里の顔が緩んだ。
構えを説くと、右手を上げて
「月葉ちゃん、タッチ!」
といって、月葉の肩を叩いた。
「あ、はい…………はいっ!?」
突然話を振られて月葉は思わず狼狽してしまった。
「ちょ、ちょっと、どういうことよ!?」
臨戦態勢だった瑠璃子も大声を上げるが、
悠里はさも当然と悠然とロープに寄りかかった。
「だってぇ〜、あたしはもう一回闘ったし〜、あれはあれで疲れているし〜……」
悠里は言いつつ、月葉に視線を送る。
月葉ははっとして、悠里の意図を汲み取った。
月葉は両頬を一度叩いて気合いを入れる。
「わかりました。会長がやらないなら、私がお相手します!」
「……どういうこと……?」
その真意が図りかね、瑠璃子は眉を顰める。
月葉は少し笑みを浮かべながら、軽く準備運動をして身体をほぐす。
「プロレス同好会と新相撲部の出稽古です。お相手するのが会長だけでは変でしょう?」
つまり、悠里一人に相撲部自慢のエース二人が負けては面子に関わるだろうということだ。
あくまで稽古の結果とすれば面子は保てる。
「……なるほど……その通りね……」
言い出したのは瑠璃子だし、桃は既に悠里に敗れている。
渋々だが了承しざるを得ないようだ。
瑠璃子は苦虫を潰したような表情になる。
「じゃあ、レフェリーはあたしね!」
悠里は二人の対戦が楽しみとばかりにニコニコ笑っていた。
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