相撲の力 7−4
やっとここまできた。
この子と土俵で向かい合うことを、ずっと望んでいたのかもしれない。
自分のライバルはたくさん居る。
好敵手もたくさんいる。
その中でも、高村悠里だけが別格だった。
始めは、ただちやほやされているだけの作られたレスラーだと思っていた。
その結果、勝負に勝って相撲で負けた。
そして彼女は妬みの対象になってしまった。
その結果、圧倒的な力の差を見せ付けられ惨敗した。
次に相撲の力を疑ってしまった。
偉大な先輩たちに支えられ、相撲の力を取り戻した。
出稽古の時、弱点を的確に見破り、
しかもアドバイスまで出来る高村悠里という存在が分からなくなった。
色々調べてみて、彼女がホンモノであることを知った。
最大のリスペクトを以って、再び挑んだ。
善戦はしたが、やはり完敗だった。
そして、彼女はもう一度自分の挑戦を受けてくれた。
この土俵の上で、自分の全てぶつける。
限界まで全部。
東に桃、西に悠里。
桃は気迫を漲らせて、土俵の上に上がった。
対して、悠里も闘志を溢れさせている。
マワシ姿の彼女は、自分よりも大きく感じる。
まるで静香や隆美を見ている気分だ。
それでも、桃は怯むことなく、堂々と塵を切った。
迷いも憂いも不安も、もはや皆無。
全てを込めて、彼女を倒す。
四股を踏み、塩を巻く。
先ほどの激闘で荒れた土俵の上に、粉雪のように塩が舞い落ちる。
仕切り線の前に立つ。
何度か悠里と向かい合ってきたが、今日ほど本気の表情をしている時はなかった。
どうやら希望通り、本気で向かってきてくれるようだ。
桃は胸の昂ぶりを感じながら、仕切り線に軽く手を付ける。
桃の動きにあわせるようにして、悠里も仕切り線に手をつけるが、
桃は悠里の間合いを外す為に直ぐに拳を浮かせた。
悠里相手に無策で挑めるほど、自分は才能に溢れていない。
天才肌の彼女を倒すには、自分の限界と知恵と経験を駆使する以外にない。
阿吽の呼吸に合わさるのが理想。
しかし、合わせさせるのが相撲の立会いの妙。
今度は力水をつけてからもう一度塩を巻く。
だが、悠里は今度はなかなか土俵に向かない。
背を向けたまま天井を見上げるようにしている。
やがてゆっくりと息を吸う。
「…………ぁぁぁぁああああああああっ!!!」
まるで獣のような逞しく猛々しい咆哮。
それまでの闘志が、更に膨れ上がって弾けとんだ。
圧倒的な存在感に行司で立っているだけの隆美や、
土俵の外の静香、静音、エリカ、月葉、瑠璃子までが気おされる。
「……よしっ……」
開放した闘志を再び治める。
悠里にとっては、久しぶりの力の解放だ。
人から自分からギアが上げられないといわれる。
そうではない。
トップギアが時として危険な事を知っているから入れないだけだ。
けれど。
塩を巻き、再び仕切り線を挟んで向かい合う。
堂々と蹲踞する姿に、桃は威圧されてしまう。
気迫で負ける気は無い。負けるつもりなど毛頭ない。
それでも、今の悠里の姿はあまりに圧倒的だった。
昂ぶる心に不安が影を落とす。
まさか、土俵の上で自分がこんなに気おされるとは。
蹲踞したまま、悠里は不敵に笑う。
「桃ちゃん先輩……見せますよ……あたしの全開……」
悠里の顔を見る。
冷や汗、脂汗が出てくる。
それ以上に、闘志が溢れてくる。
「望むところよ!!」
桃は勢い勇んで仕切り線に拳をつける。
実力、知略、経験、全部をこの一瞬に込める。
「……いきますっ……」
悠里も仕切り線に拳をつけて構える。
こうしてじっくりと向かい合えば分かる。
構えた悠里は、まるで飛び出す寸前のF-1機のようだ。
隆美がゆっくりと手を差す。
「まったなし……はっけよいっ!!」
「しょうぶっ!!」
「ふっ!!」
両者が同時に立つ。
桃は真っ直ぐ両手の押し。
対して悠里は低く頭から。
バシンッという衝撃。
「りゃあっ!!」
「くっ!!」
衝突は桃が勝った。
今までの桃では組みとめるのがやっとだったろうが、
悠里対策で特訓したつっぽりが押しの力を大幅に増幅していたのだ。
前に出ようとしていた悠里の身体を下から押し上げ、
鋭い出足の悠里を一歩後退させる。
必殺の間合い。
桃は迷わず右のツッパリを悠里の喉元に放つ。
「はっ!」
「ぐぅっ!!」
まともに入ったが悠里は胸を張り、今度は身動ぎすらしない。
「もう一発っ!!」
もう一撃と桃が左を突き出す。
「はっ!!」
しかし既に桃のツッパリは見切っている悠里。
突き出される左手に自分の右手を絡ませ巻き返しの動作で脇を差す。
「っ!?」
まるで蛇にでも絡みつかれたかのような動きに桃は対処できず、
完全に右を差されてしまう。
「ふっ!!」
「くあっ!!」
対処する暇も無くすくい投げ。
しかし桃も必死に足を運び残る。
だが悠里は止まらない。
「えいっ!」
「ぐっ!!」
今度は左を差し両差し。
深く差した状態で更に前に出ようとする悠里。
「ふんっ!!」
「うあっ!?」
しかし桃も負けてはいない。
悠里の腕を閂で決めると、胸の下のアバラに拳を当てて悠里の動きを封じる。
「くっくっ……」
「うくくっ……」
しかし、閂は扱いが難しい。
腕を極めているとは言え、互いに腰を浮かせた状態。
我慢比べに近い。
「んぐぐっ……」
「うっんっ……」
互いに両足は大きく開いており、土俵から足を浮かせない。
「ノコッタノコッタノコッタ!! ノコッタノコッタノコッタ!!」
こうなってくると意地の張り合いだ。
痛みに負けて悠里が泣くか、悠里を食い止めきれず桃が負けるか。
「いやああああっ!!!」
「ぐうううううっ!!!」
悠里が猛烈な勢いで突進した。
閂で食い止めた桃だが、一気に徳俵まで追い込まれる。
負けてたまるかっ!!
ももが捨て身覚悟で閂投げを構える。
しかし、ここで悠里はすっと腰を下げてしまった。
「……勝負あり♪」
「くっ……」
つまり、今のままなら自分が勝っていたと言うのだ。
確かに状態が不利だったのだから逆転も難しかったろう。
「そういうことね……」
「そういうことです……」
つまり、負けたと思ったのなら自分から土俵を割れということだ。
「……泥仕合女」
「ドロンコ大好きだもん♪」
こそりと言い合うと、桃は直ぐに頭を切り替える。
「……ならっ!!」
受けて立つのみっ!!
今度は此方の番と桃は左を一瞬で巻き返す。
得意の左四つで胸が合った。
今度はこちらの番とばかりに、
「ふんっ!!」
まずは強引と感じるほどの寄り。
筋力が上がっているのか、落としてあった悠里の腰が浮くほどの力だ。
「ノコッタノコッタノコッタ!! ノコッタノコッタノコッタ!!」
「くっ!! やっ!!」
「はっ!! ふんっ!!」
「ぐっ!! くっ!!」
隆美の囃しが響く中、再び両者の激しい攻防が始まる。
後退させられた悠里は咄嗟に左下手からの崩しを入れるが桃の足捌きが速い。
素早く回り込み更に寄りで前に出る。
悠里は後退しながら腰をもう一度落とそうとするが、
ねじり上げるような強引な寄りに桃の勢いを食い止められない。
「ノコッタノコッタノコッタ!! ノコッタノコッタノコッタ!!」
「ふっ!! むんっ!!」
「くあっ!! ……まだまだっ!!」
「くっ!! ……はっ!! そいっ!!」
「あっ!? やっ……あっ……」
更に寄りに来る桃。
悠里はたまらず下手を跳ね上げて桃の上手を切り挽回を試みるが、
得意の左下手が残っていればいくらでもやりようはある。
桃は得意の左下手投げで悠里を崩すと、一気に押しに出る。
バランスを失わされた悠里は両胸をつかまれ、一気に土俵際まで追い詰められてしまった。
すると、桃も悠里を押し出さず、わざと両差しにして腰を落とした。
「……はぁ、はぁ、勝った……」
「……はぁ、はぁ、む〜……」
悠里が悔しそうに唸る。
どうやら桃が想像していたより、本気の悠里との差はなさそうだ。
左四つと押し相撲なら自分に分がある。
右四つと技比べでは悠里が上だろう。
しっかりと肌を合わせていると互いの強さが感じられるから不思議だ。
そして、共通した認識も存在している。
それは、守りに入っては互いに不利ということ。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
「はぁ、はぁ、はぁ……」
ジリジリと立ち位置を動かす桃と悠里。
悠里が何かを仕掛けている訳ではないが、ゆっくりゆっくりと移動していく。
「はっけよーい……」
「ふっ……」
「うっ……」
隆美の囃しに合わせるかのように、悠里が動きを止めて身体に力を込めた。
桃の動きがピタリと止まる。
もう動いてはいけないと、本能的に危険を察知したのだ。
立ち位置はやや西より。悠里が土俵際を背負うような感じだ。
「……はぁ……はぁ……」
「はぁ……はぁ……はぁ……」
桃は内心焦ってしまう。
動きを止めた悠里の呼吸が見る見るうちに落ち着いていくのだ。
やはり回復力、心肺能力は悠里の方が上か。
「……さぁ、桃ちゃん先輩、ドロンコ遊びですよ……」
「えっ? ……うぐっ!?」
それは唐突だった。
それまで探りあいのような気配を発していった悠里の身体が、
突然大岩のように重くなったのだ。
あまりの重さに桃は危うく膝をついてしまいそうになる。
対抗するには力を振り絞るしかない。
「んっ……」
「くっ……あっ……」
桃の表情が歪む。
一体何が起こっているのかまるで分からない。
助けの声は外から来た。
「桃ちゃん!! 焦らないで!! 基本を忘れず身体を締めて!!」
静香の声だった。
無駄な力を入れすぎず、身体を締める日本古来の力の入れ方を指示したのだ。
桃は静香のアドバイスを直ぐに実践する。
先程よりは楽になったが、それでも悠里のプレッシャーは変わらない。
「……ちぇ……本当は……えいっ!」
「ぐっ!? くうっ!!」
悠里が楽しそうに声を漏らし、ちょっとだけガクッと身体を揺すった。
その瞬間桃の身体が呼び込まれる。しかし桃は慌てて腰を落とし懸命に封じた。
「い、今のは……」
間違いない。今の入り方は静香の奥の手、呼び戻しだ。
桃の身体が緊張したままだったら、簡単に飛ばされていただろう。
「はっけよーい……」
「……んっ……」
「はぁ、はぁ、ぐっ……はぁ、はぁ……」
綺麗な左四つ。
腰も落ち、互いに万全。
本当なら真っ向から攻めていくのが桃の流儀だが、
動くに動けない。
先ほどから悠里の攻撃を防ぐので精一杯なのだ。
外から見ている分にも、ここにいる面々のレベルなら察知しているだろう。
悠里がまるで重戦車のように前進しようとしているのに対し、
桃はそれを必死に食い止め続けているのだ。
静香のアドバイスどおり身体を締めているため、
身体の内側の筋肉。
インナーマッスルと呼ばれる筋肉を使い続けている状態。
つまり全力で吊り合いをしている状態と同じという事だ。
更に悠里は隆美と同じようにほんの僅かな動きで、
桃に攻撃を仕掛け続けている。
力任せに鯖折り、右の上手投げ、左の下手投げ、
肩透かし、やぐら投げ、上手捻り、下手捻り、
巻き返してから内無双、外無双、
内掛け、外掛け、二枚蹴り。
あらゆる技を悠里は仕掛ける気配を発している。
桃は僅かな気配のうちにそれを食い止めることで悠里の攻め手を封じ続けているのだ。
しかし、悠里より桃の方が明らかに疲弊していく。
途中、何度も自分が土俵に転がるイメージを叩き付けられた。
消耗戦では桃に勝ち目はない。
既に悠里が決着を付けるチャンスは何度あっただろうか?
必死に防ぎ続けるにも限界がある。
「はっけよーい……」
「はぁ……はぁ……」
「はぁ、はぁ、うっくっ……」
四つの五分の状態だと言うのに、桃の息遣いだけが激しくなっていく。
次第に桃の表情が焦燥し始めた。
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